約30年前に製作された #企業のnote は、創業者である "静岡のエヂソン" から学ぶべきことばかりだった話。
総務部のこやまです。
突然ですが……。
私はnoteでの情報発信においては、創業者である "会長" こと 石田稔 氏に関する小ネタを、記事の随所で言及することを密かに肝に銘じています。
弊社・イシダテックの前身にあたる石田鉄工所、さらに個人創業まで遡れば1948年に中古旋盤を購入してから、『手作業を機械化する』というテーマに長年挑み続けたことは記録としても多く残されており、こういったルーツは企業として大切にすべきであると思っているからです。
また、かつてはPR活動として様々な配布物を製作しており、時折登場する『古文書』の正体でもあります。自ら描いたイラストとともに、会社の活動や社会情勢の変化を振り返るこの冊子、楽しみに待ってくださっている方は非常に多かったとも聞いています。
約30年前に作られた #企業のnote
先日、ある一室を整理していた時にこんなものを発掘しました。
この書籍は、静岡県内の経営者とジャーナリスト・草柳大蔵さまの対談形式で編纂されており、タミヤさま、村上開明堂さま、石原水産さまなどのインタビューを個別に製本、全11冊で作られたBOXです。
今風に言うならば #企業のnote ですし、マガジンみたいなものです。
EP.1 静岡の「エヂソン」とそのルーツ
この表現は、ここが始まりでした!
冒頭に草柳大蔵さんが「どういう風に石田さんを一言でまとめるか考えていたんですけど…」と切り出し、生まれた表現であったようです。
発明家としてのDNAは、家系にも
創業者の祖父(なので現社長・石田尚の祖父の祖父)も発明家であったとのことで、パンクしない自転車を作るためにタイヤの内側にボールをしきつめたり、路面電車の前面に事故防止の網を付けたり……、といったエピソードも紹介されています。幼い頃から発明が近くにあったことも数多くの特許や実用新案を生み出した一因だったのかもしれません。
しかし金銭的には決して恵まれず、教育も満足には受けられなかった。
でも会長は機械の修理を受けるうちに構造を理解した、と残してもいます。
こういった経験ももしかしたら、『人を大切にする』や『機械化によって大変な作業から解放する』といった根幹につながっているかもしれません。
EP.2 IKA10の発明に見る、物事の見方
簡単にご紹介した記憶があるのですが、イカつぼ抜き装置(通称:IKA10)の機構は世界にも前例がなかったものでした。"柔らかく、ぐにゃぐにゃ" なイカを機械に投入する際に、姿勢を保持する機構の設計は、 "普通の発想" では困難だったことが実現を阻む大きな要因であったようです。
問題意識の持続
イカを解体するにはどうするか、何百時間に及ぶ検討を経ても答えは出ず、『せっぱつまって、ぎりぎりで、どうにもならない』状態に。
そんな時訪れたバルセロナでもやはりお客さまのことが頭の片隅にあったからか、サクラダ・ファミリアを見て『これだ!』とひらめきます。
外から力をかけてイカの形を保持し(イカを外から引っ張ってきれいに伸ばしておくイメージ)外側から解体しようとして壁にぶつかっていましたが、会長は内側からイカを解体するという発想に至ります。
この建築物からそれを導くのは驚きしかないものの、以前インタビューした山村さんが会長に言及した言葉にもそのヒントはありました。
これらからわかるのが、仮にすぐ実現できずとも問題意識を持続させることの大切さ。お客さまのことを考え続ける姿は最も学ぶべきポイントでした。
EP.3 時代に即した発明のために
会長の発明のひとつに、石油コンロ自動消火装置があります。
『古文書』に書かれているように話題となり、SBSテレビにも出演します。しかし、日の目を見ることになるのは時代が後になってからでした。
時代背景や使う人の考え方に対してこの装置の登場はあまりにも早すぎて、世の中に求められるものでは "まだ" なかったのです。
思想が先、技術は後
会長の言葉を借りてここから得られる学びを整理すると…
発明において大切なことは思想が先にあって、技術は後から付いてくるものである、ということです。
時代に先走りすぎてしまった石油コンロ自動消火装置の技術は、思想(世の中のニーズ)には先行しすぎてしまったことで、日の目を浴びる頃には取得した特許も失効してしまっていたのだそう。
マーケットイン/プロダクトアウト、どちらが正しいという話ではない。
しかし、デザイン思考の本質や重要度を改めて感じさせられるのが、時代に先駆けて生み出された石油コンロ消化装置の発明エピソードでした。
おわりに
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