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地域密着型地元企業への就職。#notethon

私は地方都市から東京の大学に進み、東京で就職し、数年後にアメリカに転勤になり、そのままアメリカ東海岸で30年近く暮らしている。

そんな私がイシダテックに出会い、魅了されてしまい、この度 Note-A-Thon参加に名乗りをあげてしまったわけで。

この記事を皮切りに「イシダテック応援記事」を三本書いた。Trilogy!!

私とイシダテックには何の接点もない。二人の子供が日本で就職するなんてことはまず有り得ないし、そもそも私が日本でこの人生を終えるのかすら怪しい。子供たちには「動けるうちはいくらでもどこへでも行っていいけど、たとえば日本で動けなくなってアメリカに戻って来れなくなる、というような事態にだけはならないように」とキツく言われている。

でも。こやまさんの文章が、私は大好きで大好きで。どんなふうに会社が経営されているのかとか、社長がどんなふうに社員と接しているのかとか、朝のラジオ体操の風景まで想像できちゃって。

私はMBAをマーケティング専攻で取得したから、経営学的な見地よりもマーケティング、つまり会社宣伝的見地で、こやまさんが描くイシダテックを見守っている。

それだけじゃない。今秋に2019年以来の一時帰国(東京は2014年が最後)を企てているのだが、その際に焼津まで足を伸ばそうと思い立ち、具体的なプランでこやまさんをびっくりさせたばかり。うふ。


さて。あの突然思いつく社長がある日また突然思いついたイシダテック #notethon 。お手伝いをすることにした。

タイトルの通り、地元企業への就職、について考えてみる。

私は日本海側のある都市で生まれ育ち、東京の大学に入学して地元を離れた。一方で、
地元の県立大学に進み地元企業に就職した友達、
県立大学医学部に進んで開業した友達、
教育学部を卒業して学校の先生になった友達がいる。
そして、東京の大学に進んで地元に帰り地元企業に就職した友達もいる。

私は東京から、海外に出た。

県内トップの高校を出ると、どこの大学卒業かよりも、その高校卒業の方が地元ネットワークでは威力を発揮する。高校同窓会や同期会で名刺交換する。この年齢になると、当時の同級生がゾロゾロと地元トップ企業の社長や重役に収まっている。あんなのがと思うような奴でも、親の会社を継いで社長になっているが、親や周囲の期待を裏切らず、見事に継いだねぇというケースもある。


今年9月に大学に進んだムスメと、8月に二人で米国北東部から南部に向かって大西洋に沿って南下するという2週間の Road Trip をした。交代で数時間ずつ運転したのだが、南部に到達してしばらくしたら、観察力の鋭いムスメがキレた。

一本道で追い越しが可能じゃないのに、まるで後ろから煽るような車間距離で追ってくる。それなのに、目の前の車が右折左折する時、恐ろしいほどのスローなスピードでゆーっくりハンドルを切り、道のど真ん中で停車するかと思うようなノロさでターンするので、北東部からきた私たちは(え、え、まだ曲がらないの?なんで?ぶつかるじゃん!)と、タイミングが合わず慌ててブレーキを踏む。

「なんで、危険なことをする時に、そんなノロいスピードでやるのよ!(北東部の)私たちも同じようにリスク取るけど、危ないってわかってるからサッサっとやるのに!」とムスメ。

後日、私がこの話を知人にしたら、フロリダに住む彼女の娘もまるで同じことを言うのだそうだ。笑。

南部の人の運転パターン、ということらしい。
そこでの1週間の滞在中、運転するたびに、ムスメが苛立ちのため息をつき、

"Martha!!! Talk to your friend, Edith, on the side of the road, NOT in the middle of the turn!!!"

と一人漫才を始めるから、私は助手席でお腹を抱えて笑った。

帰路につき、北上するにつれて、運転パターンはまた見事に変化していく。家まであと1時間を切ったら、高速の車線変更はまるで「できるかどうか挑戦!」みたいなレベルに達し、ハンドルを握る手に力が入る。全神経集中して、突然視界の端から入ってくる車の動きを捉えるみたいな。怖。


考えてみよう。

東京人と関西人と四国人と九州人と東北人と北海道人は、どう考えたって、厳密には「異なる文化圏・人」であるわけで、日本全国から集まってくる東京の会社員構成と、静岡県焼津市の地元企業であるイシダテックの会社員構成は違って当然である。地元人が大半を占めている場合、社員同士のやりとりや、プロジェクトを遂行する時のやり方に、北東部人と南部人の運転パターンの違いみたいなのが顕著に現れて、なんてことがあるんだろうか。

地方企業文化には、その土地特有の、その土地出身者にしかわからないニュアンスとか、ビジネス慣習なんかがあるのだろうと想像する。そして、そこには他県出身者が入り込む余地はあるのだろうか。いや、もちろんあるべきで、入り込もうとしたら弾かれたではなく、アピールしないと気づいてもらえないではなく、両腕を広げて異質なものを敢えて探して、受け入れるみたいな感じだと良い。そして、そこに生じる融和が企業文化にプラスになるような形であることが理想。

静岡県特有の、ひいては焼津市特有の地元人がもつ土地勘というか地元センスみたいなものは、イシダテックにとってどのくらい重要なんだろう。

静岡県出身者。焼津市出身者。
地元静岡県出身で静岡県内の大学を卒業した人。
他県出身で静岡県内の大学を卒業した人。
他県大学に進み(石田社長みたいに筑波大学とか)地元に戻って就職する人。

他県の大学時代の仲間が、まるで縁のなかった静岡県焼津市のイシダテックに就職、中途採用なんてケースもある。つまり、現社員の大学時代の友人がイシダテックに誘き寄せられた例である。これはイシダテック現社員による、無意識な採用活動の結果であり、口コミに似た効果というか結果である。

それぞれのカテゴリに属する社員が、各自がもつ独特のなにかを会社に提供しているはずだ。他県出身者である「余所者」から持ち込まれる何かが、地元出身者の土地勘が核となっているイシダテックの文化と融合して、イシダテックは世界の企業に向けてその製品・サービスを提供しているのだろう。

会社は大きくなりすぎると、小回りが効かなくなる。だから、どんどん成長成功して大きくなっていって欲しいと思いつつも、今のこぢんまりと社長と社員が一体になって作業しているその社風を失ってほしくない。「余所者」が持ち込む(持ち込めるはず)であろう、静岡県焼津市出身者達には特異な何かを上手に取り込んでポジティブな化学反応を誘発し、こぢんまりな本体はこぢんまりなまま、その核がすこーしずつ進化していくみたいなイメージだといい。

大きな軍隊が大規模な戦争をするんじゃなくて、少数先鋭部隊が潜水艦でドカンと背後から攻撃、みたいなイメージが、イシダテックには似合ってる。

なんか、頑張れウクライナ、みたいになってきたぞ。

イシダテックにとってのPutinって一体何なんだろう。

うっほほーい。こやまさん、石田社長、こんなんでどうでしょう。



こちらの記事は2023/09/20~2023/09/21にかけて実施した #notethon にあたって作成されたものです。

文化の違いがあまり明確に出ている感覚こそないのは、むしろ県外出身者がそれなりの数所属するようになったのかもしれません。しかし、中原さんのインタビューにはこんな一説があります。

余談ですが入社してすぐは静岡の方言に慣れずにとても苦労しました。特に語尾が聞き取れず、依頼をされているのかただの雑談なのかがわからず困惑していました…。

そうあるように、苦労はしていたようです。今ではちょっと焼津オリジンが薄まってきているのかな?それともお互いに自然と順応してきているか否か… 来社時に確かめてみてください。
そして由。さんは今回なんと現在お住いの米国東海岸より、国境と時差を超越して参加していただきました!弊社について言及いただいた記事がトリロジーでありますので、最後にご紹介させていただきます。(こやま)

写真はおそらく1990年初頭の会社紹介資料より


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